悲しみのトライアンフ。

起こり得たかも知れない事故が
遁走曲(フーガ)で終わったのは見事。

 演技は『九による証拠』、
 むろん独演、
 片手の動きで女神(ミューズ)たちを自由自在に入れ替える。

(Jean Cocteau / L’Ode a Picasso)

私は人ではなかったけれど、
人の言葉を話し、人のすることなら大抵のことが出来た。
ただし、人の真似事をするときは、
私の意識を宿らせるための生きた人間が必要だった。
私は幽霊とかの類ではない。
私の意識は人の持つ意識と構造上変わらなく、
同一性はないものの、
人間という種族が自己の意識を特別に大切にする限り、
私は不変で普遍な存在なのだ。

数世紀が過ぎ、
私は数々の肉体を渡り歩き彷徨い、いまは主人の中にいた。
あなたの意識に浮かび上がることが出来なかった無数の選択肢の墓場。
そこが私の住処だった。
あなたは私の主人だった。
私は主人とよく二人で話をして過ごした。
あるとき主人が私にこう言った。
「時々ならこの体を自由に使っていいんだよ。」と。
主人は何故そんなことを私に言うのだろうかと思い、私は戸惑い思わず空を見ていた。
私は主人の中にいるだけで十分満足していたのだ。
一人格としての扱いを受けることに強い疑念を抱いた。

私が流す涙をすべてあなたに捧げます。
それであなたは安らかに死ねるでしょう。
誰もいない世界でたった一人のあなた。
私のいない世界でたった一人のあなた。
さあ、死にましょう。
もう、、
逝きましょう。

世界は誰のもの?

>神様、否、

命は誰のもの?

>自分、否、

大気を切り裂くスピードがすべてを奪う。
私の目、私の耳、私の心臓が、波打って拒絶する。
あなたの閉じる目を無理やりこじ開けて私を目に焼き付けさせる。
私には体がない。
私は闇。
逝きましょう、あなたの元へ、
世界の果てへ、

さあ始めましょう、終わりの始まりを、
命の際で、もう肉が焦げている匂いがする。
あなたの体が燃え尽きるまで
私は続く。

始まりの祝杯を!

さあ、逝きましょう。
等しくみんなが希望にすがり幸福を奪い合う世界へ。

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月と猫とナイフ。

見飽きた。夢は、どんな風にでも在る。
持ち飽きた。明けても暮れても、いつみても、街々の喧噪だ。
知り飽きた。差し押さえをくらった命。ーああ『たわ言』と『まぼろし』の群れ。
出発だ。新しい情けと響きとへ。

(Jean Nicolas Arthur Rimbaud/Une Saison en Enfer)

深夜2時、足音をたてないように静かにバスルームのドアを開けて中に入ると内側から鍵をかけた。
洋服は脱がずに携帯とサバイバルナイフを持ってお湯に浸かる。
携帯は濡れないようにタオルの上に置いた。
灯りは点けなかった。
緩いバスタブの中にゆっくりと体を伸ばしてリラックスできる体勢で携帯を手にとりブログに載せる最後の文章を考えていた。
終わりらしくない文章がいいいなと思った。
エンドレスに続いていくようなメビウスの輪のような文章を探していた。
言葉の世界は無限だ。
言葉の世界ではどんなことも実現できる。
例えば、僕だけがいない世界とか。

僕は僕だけが知る魔法で意味不明な文章をパズルのように壊しながら並べていった。
それは他人が読んでも意味が伝わらない。
僕はもう誰にも何も伝えたくない。
この世界がどんな価値のある世界かなんて関係ないと思った。
悲しみと苦しみの世界、誰にも僕のことは理解できない。

もうすぐ死ぬ。
佐内が言った言葉を思い出した。
前世の記憶か、
佐内は何を思ってそんなことを言ったのだろう。
頸動脈を確実に切るコツを僕に教えた後に。
僕が本当には死なないと思っていたのだろうか。
佐内は僕の記憶には何も残っていない。
前世の記憶なんてばかげてる。
僕はブログを書き終えた。
ただし、公開するのは明日の夜にした。
勘のいい人が気づくと困るから。
携帯はバスタブの底に沈めた。
防水じゃないからこれでデータが壊れるはず。
やり残したことはもうない。
携帯のディスプレイの灯りが消えた。
携帯を底から拾って確かめてみる。
どのボタンを押しても何も起こらなかった。
きちんと壊れていることを確認して再びバスタブの底に沈めた。
暗がりの中で外から漏れてくる月明かりを頼りに時計を見る。

03:23

そろそろ外が明るくなる。
僕はサバイバルナイフを右手に持って首筋に刃を当てた。
ちくんと軽い痛みがした。
僕は宇宙を思った。
いつか、この宇宙も消えてなくなる。
何もなくなって無になる。
僕は死んだ友達のことを思った。
友達はもういない。死んだら消えるんだ。
もっと長く生きることもできたかもしれないのに、死んだら終わる。
僕が死んだら誰か悲しむだろうか。
誰かは悲しむだろう。
でもその誰かもいつか必ず死ぬ。
誰でも死ぬ。
誰でも一回絶対に死ぬ。
僕は小さく呟いた。
僕は今から死ぬ。
僕はもう宇宙になる。
消えて終わる。
終わった世界を見てみたい。
確かめなくちゃ、誰よりも早く確かめたい。
知りたい。早く知りたい。
終わった世界。

僕はもう何も考えていなかった。
終わったんだ。

ふと猫の鳴き声が聞こえた。
ごめんね。

首筋にナイフの刃をたてる。
握る手に力を込めて思い切り刺した。
その瞬間、凄まじい痛みで無意識に握る手の力が緩む、
僕はなんて弱くて、情けない、でももう嫌なんだ、だから、これだけは絶対にやり遂げる。
握る手に思い切り力を込めてナイフを首筋に沈めた。
ナイフ越しに心臓の鼓動がはっきりとわかった。
そして、ナイフで思いっきり切り裂いた。
一瞬で血が天井まで吹き出しバスルームが血にまみれた。
激しい痛みで意識が飛びそうになる。
5秒、
痛みが消えた。
10秒、
クラシカルなドレスを着た少女が見えた。
(誰だっけ、)
11秒、
皮質系が機能しなくなり意識が消えた。
16秒、
心臓が止まって僕は死んだ。

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天使・イン・セブンティーン。

わが愛は火なり、そはすべての狂える肉を焼きつくし、
さて香煙のごとくに消え失せしむ、
わが愛はまた洪水なり、そが濁流のうちに
わが蒔きし悪しき芽生えを、ことごとくおし流す、

Paul Marie Verlaine / Iil faut m’aimer

駅で顔も知らない愛しい人を待っている時間というのは、
鉄を熱して二つに分ける際に、鉄が融点に達した瞬間それまであんなに頑丈だった塊が
何事もなく伸びるあれに似ている気がすると佐内は思う。
駅に着いてから二時間が経ち待ち時間が長くなればなるほど時間はスピードを緩め
さっきまでの5分がいまでは一時間待ったかのように感じる。
私は入場券を買って朝の4時から待ち人が現れるのをずっと立ちっぱなしで待っていた。
電光掲示板を見ると。次に来る車両は16:43着である。
煙草が吸いたかった。
車両が到着するたびに改札口は人で溢れた。
私は大勢の人の群れの中から彼を見つけようと必死で見覚えもない愛しい人を探し続けた。
17:34
私は時間が過ぎていくたびに不安な気持ちが強くなっていた。
もしかしたら愛しい人はすでに降りていて私が見落としたのではないか。
彼はもうさったあとではないか。そういった不安は最初から覚悟していたものの
実際になってみてそれがどんな重圧を持って私に不安を強いるかなど想像もしていなかった。
もう彼は行ってしまっていたら。
もし見落としていたら。
私は愛しい人と二度とこの逢瀬で出逢うことはできない。
もしそうだったらどうしよう。
私はなんのためにこの世に生まれてきたのか。
私は愛しい人と再会するために前世で約束を交わした愛しい人をいま待っているのだ。
佐内は黒い皮の学生カバンの中から手帳を取り出して今日の日付のページに栞のように挟まっている小さな一枚のメモを見た。
「西園寺夏生」
メモには名前だけが書いてあった。
私が17年間かけて彼についてわかったことはこの世での名前だけだった。
そして今日この駅に彼はやってくる。
タイミングは今日しかない。今日を逃したら二度と出逢えなくなる、そうなったら最悪。
出逢えなかったら次の輪廻まで機会はない。
佐内は疲れても煙草が吸いたくても全部我慢して改札口だけをじっと見ていた。
19:33
次の車両が来るのは19:37だった。
佐内は携帯電話にひっきりなしにかかってくる電話やメールも全部無視して集中することに努めた。

どんな人だろう。
年齢が同じなのは知っているけど
大人っぽいのか、子供っぽいのか、どちらでもないのか。
髪の長さはどれくらいだろう。
どんな声で話すのだろう。
太っているのか、痩せているのか。

佐内は深いため息をついて目を大きく開けて両手で頬を叩いて、自分に喝を入れた。
なんでもいい、はやくきみに逢いたい。

車両が到着して改札口が人の群れで埋まる。
私は必死で彼を探した。
21:22
佐内が待ちくたびれて、しゃがみこんた。
「もう、あえないのかな、」と小さく呟いて膝を抱えて丸まって下を向いた。
22:34
22:36、到着の車両が着いて改札口が人で埋まる。
しゃがんだまま佐内は人ごみの中を必死で探し続けた。
たくさんの顔を見たけれど彼はどこにもいなかった。
そして、みんな行ってしまったあと、佐内はまた下を向いてしまった。

「大丈夫ですか」
突然声をかけられた私は驚いて立ち上がった。
疲れているせいでぐったりしていた私はゆっくり声の主の方を向いた。
顔を見た。
「西園寺夏生」私は心の中で名前を呼んだ。
私の世界がスローモーションフィルムのようにゆっくりと優しく私を包みこむ。
佐内はついに見つけた。

この人だ!
私の愛しい人。
嬉しい、嬉しい、嬉しい、
17年間待ち続けた。
そして見つけた。
嬉しい。ありがとう、神様。
「ありがとう」

やっと逢えたよ、夏生。

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